ケーキハウス・ツマガリ:甲陽園のお菓子工房

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ツマガリ社長について

講演内容

「オンリーワンをめざして、小さなお店の大きなブランド戦略」2006年6月:明日を拓く企業の情報専門誌「ひょうご経済戦略6月号」より

「創業・第二創業総合キックオフセミナー(主催:ひょうご産業活性化センターなど)の講演内容をまとめたものです。

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喜ばせたいという気持ち

イメージ写真

商売が成功するか否かは、お客様をよろこばせたいという気持ちがどれだけ強いかできまります。私は洋菓子屋ですから、おいしいものをつくってみなさんに喜んでもらいたい。ですから、だれにでも手に入る原材料を配合するだけでは飽きたらず、原材料から作っています。砂糖はアルゼンチンで無農薬栽培したサトウキビからつくらせています。

北海道の酪農家に作ってもらっているバターは乳酸発酵させてつくるのですが、1万ある種類の乳酸菌の中から自分で選んでいきます。そうなると最後は機械づくりにまで行き着きます。それは強い気持ち、情熱がそうさせるのです。喜ばせたいと思ってつくったものを、お客様が安い、おいしいと思ってくれれば、それはお客様のためになっているわけで、自利=利他になっているのです。これは天台宗の開祖、最澄の言葉です。

独立する前に工場長をしていた時、部下の一人がデザインのきれいなデコレーションケーキをつくっていました。そのかたわらで、これ以上乗らないというくらいフルーツをてんこ盛りにしたケーキを作っていたので「これを売るのか」と聞いたら、「こちらは親戚のところへ持っていく」と言うのです。喜ばせようと言う気持ちがこもっているのは明らかに後者です。これは自利だけです。

無意識に喜ばせる行動が取れるか

考えて喜ばせるようではまだまだです。無意識に喜ばせる行動をとれるようにならいないといけません。閉店間際にお菓子が余った時、ぼーっとしている子だと「お菓子が残りました」と言って「捨てましょうか」「店のみんなにあげましょうか」と言います。

私ならば、お菓子をすぐに包んでお客様にぱっと渡します。ふだん町を歩いていても、ごみがあればさっと拾い、水が出っぱなしだったら止めます。私は菓子学校に通ったことはないけれど、考えることはできます。寝ても覚めても、お客様においしかったと感動してもらえることを想像しているからふつふつとアイデアが湧いてくるのです。うちのような小さなお店ではきらりと光っていないと生き残れません。

そのためにはクオリティだけではだめで、ツマガリだけのオンリークオリティがないといけない。しかし、それでもだめでさらにサプライズが加わらないといけません。アンテノールにいたときは8000種類のお菓子を考え出しました。現状に満足せずに改良し続けています。

プロは真剣勝負です。負けは死を意味します。そのためには気力こそが大切です。

原点は17歳

宮崎から集団就職で東京に出てきて、2軒目の修業先で親方に「10万円売ったら1000円くれますか」と頼み込んだことがあります。17歳のときです。給料はすべて田舎に仕送りしていたのでお金がなかったのです。当時はケーキの値段が1個50円ほどで、売上げが5万円くらいでした。親方は売れるはずがないと思ったのか「やる」と言ってくれました。

それから努力しました。店先に10人くらい行列ができるのが裏から見えるとしゃにむに作りました。それでお客様にサービスしたのです。「お帰りなさい、ごくろうさまでした。お子様に一つ余分に入れておきますから」と。最後の2、3人になったら「長らくお待たせして申し訳ありませんでした」と言って、余分に2個入れるのです。お客様はそれぞれ自分にだけやってくれていると思ってくれるから、心の底から「ありがとう」と言ってくださいます。こちらも「ありがとうございます」と心からお応えします。

すると売上げが上がってきました。1週間に10万円売れる日が2日あったり、20万売れた日はさすがに精魂果てました。一生懸命、純粋にお客様に喜ばれようと思ったわけです。それを17歳のときに徹底的に学びました。

地域にこだわったギフト戦略

プラス思考でイメージすることもとても大切です。
靴屋の営業マンがアフリカ市場調査に行って、現地の人が裸足で過ごしているのを見て、一人は「だれも靴を履かないから売れない」と言い、もう一人は「みなに履かせたらとてつもない量が売れる」と言ったという話があります。私がアンテノールの社長を辞めて、ツマガリを創業したのは昭和61年です。創業すると決めたときから、お客様が黒山の人だかりをしている店の姿をイメージし続けました。お店は西宮の甲陽園ですが、階段を8段下がって入らなければならず、道に車が止まるともう見えないようなお店です。

開店初日は80万売ったのですが、次の日には40万で、どんどん減っていきました。あるとき、外を見ていたら宅急便の車がよく通ることに気づきました。それでドライバーの人に、「この辺りは配達が多いのか」と聞くと、「多いけれども、よそから来るのを配るばかりで集荷はほとんどない」と答えました。この地域の住民は贈り物があれば、大阪や神戸の百貨店までわざわざ行っていたのです。それなら、うちがそうなればいいと考えて、ギフト戦略を手がけることにしたのです。

ギフト商品を開発するにあたって考えたのは洋文字のネーミングはやめようということでした。それで、地域にこだわろうと思いついたのです。たとえば「一番坂より」は、甲陽園にある新緑のトンネルが続く一番坂に「ここからツマガリの物語が始まる」との意味を込めて付けました。すると、二番坂の人が、「うちもつけてちょうだい」と言いにきます。「二番坂のうたちゃん」「三番坂の・・・」「四番坂の・・・」・・・「十二番坂の・・・」とつけると「自分の町の通りの名前がついているから」と買いに来てくれます。

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